ふくしまのシェフが読んだ|辛い時期を乗り越え幸せをつかんだ物語

福島に住むとあるシェフが、辛い時に読んだ「辛い時期を乗り越え幸せをつかんだ」人々の物語

自分自身

自分の性格は変えられる

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「三つ子の魂百まで」ということわざがあります。
人によってはウンウンと頷く人もいれば、そんなことはないと思う人もいるでしょう。

 

私は昔から後者の方でした。
何より、私は昔から自分の引っ込み思案で内気な性格が好きになれませんでした。

 

物心ついたときからそんな性格だったと思いますが、一つ違っていたのは、家と外でそれが極端に違うことでした。

「選択緘黙(かんもく)症」もしくは「場面緘黙症」という言葉を聞いたことがある方はいるでしょうか?

あまり一般的ではない言葉ですが、家庭など特定の場所では話すことができるのに、学校や外では全く話せなくなる症状です。私はまさにその状態で、当時はもちろんそんな言葉があることさえ知りませんでしたが、その内と外のギャップに苦しんできました。

学校に行ったとたんに話せなくなり、笑うこともできなくなるので、周りからは当然おとなしい子、ヘンな子だと見られ、幼稚園や学校でもよくからかわれました。

 

一番イヤだったのは、同級生などに「ねえ、なんかしゃべって」「あいうえおって言ってみて」などと言われることでした。

本当はこんな性格じゃないのに…と何度悔しい思いをしたか分かりません。でも頭の中では、みんなとワイワイ対等に話している自分が容易に想像できていたのです。

 

それが余計に自分を落ち込ませました。

 

そんな状態は、中学に上がってからも続きました。

ただ、一つだけ進歩したのは、少しだけみんなの前で笑えるようになったことです。

 

それは、中学一年のときに転校して知らない街に引っ越しとことがきっかけでした。それでも普通に話すまでには至らずに、いじめに遭いました。

学校がそんな状態だったので、自分に自信をなくし、その頃には家でもあまりしゃべらなくなっていました。

 

高校生になると、環境がまたガラッと変わったので、再び自分を変えるきっかけがやってきました。

これもまた亀の歩みではありましたが、少しだけ、話せるようになりました。それはとてもぎこちないものでしたが、自分でも少しずつ変化していることが感じられて嬉しくなりました。

 

そして最大のきっかけになったのは、東京へ一人上京して、アルバイトを始めたことです。

かねてから東京のデザイン専門学校に通うことが目標だったので、そこにためらいはありませんでした。

 

さて、一人で生活するためにはアルバイトをしなければなりません。最初は、工場の流れ作業的な仕事をやろうと思っていましたが、長くは続きませんでした。
そのため、次に選んだ仕事が、なんとファーストフードの接客でした。

今までの自分の性格から考えて、それは最大の難関でした。しかし思い切って行った先の面接に受かり、逃げ道はもうなかったのです。

 

私はこの上ない緊張の中、ファーストフードで接客の仕事を始めました。

 

始めは声も小さく、上ずっていたのでお客さんにもよく聞き返されました。数え切れないほど失敗をし、周りにも迷惑をかけました。

それでもしばらくすると、なんとか様になってきて、だんだん慣れてリラックスしてきたのが自分でも分かりました。

 

それがどれだけ自分にとって嬉しかったことか…いつのまにか自然にお客さんと対話している自分を目の前にして、涙が出そうになりました。

接客業のアルバイトを始めたことは、親にも電話で報告しました。

 

特に大きな反応はなかったのですが、内心はびっくりしていたと思います。

 

自信をつけた私は、それ以降別の仕事に就いても接客の仕事を選びました。

決して人と話すのが好きなわけでも得意なわけでもないのですが、あの最初の仕事体験が自信になり、自分でもビックリするほど外でいろんなことに挑戦できるようになりました。

 

私と同じ悩みを持つ人はたくさんいると思うので、伝えたいです。人は必ず変われるということ、性格は、自分の意志で変えられるということ。
始めはいっぱい傷つくし、大変だと思いますが、乗り越えたら大きな喜びがそこに待っています。

ぜひ、あきらめないで頑張って欲しいです。

 

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